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これまでもブログなどで書いてきたことですが、zabadakで演奏している福島の相馬民謡「相馬二遍返し」についてのあれこれを書き留めておきます。
わたしは、福島県に生まれ、原発問題は遠いものではありませんでした。80~90年代には反原発運動の集会などに何度か足を運んだのですが、それは私が考えていたようなものとはちょっと違っていました。反原発運動なのに「三里塚」のノボリなども見られました(時代感…)。いわゆる「市民運動家」みたいな方のもとで、大勢でハチマキをして一丸となって拳をあげるのには結局馴染めず、すごすごと帰ることになるのでした。でも、核廃棄物処理の問題が解決しないまま原発を作ってもいいのかな、という疑問は消えませんでした。色々考えるうちに、当時の私は、音楽のなかでその気持を表現していくことにしようと思ったのでした。私に出来るのは「運動」じゃなくて「音楽」だから。Twitterなどで個人的な発信ができる現在とは事情が違っていました。
karakというバンドで1991年にデビューしたのですが、1stアルバムのテーマは「核戦争後の世界」でした。「自然にあるものだけで満ち足りる素晴らしさを歌いたい」と、インタヴューやパンフなどで折に触れて言い続けてきました。自然の美しさを知るほど、失う怖さも知るはず、との思いでした。zabadakに詩を書くときも、それは変わりませんでした。デビュー前には、いろいろなレコード会社のディレクターから「自然現象なんて歌ってどうするの」「主語がない」「ユーミンみたいなラブソングをかけ」等、散々言われましたが、私の姿勢を理解してくれるディレクター石黒さんと、好きなように歌詩を書かせてくれるzabadakに出会えたのは幸せでした。(その後は「小峰さんのあの『おっきい系』で書いてください」とオーダーがくるようになりました。)
東日本大震災翌年に演劇とコラボした舞台「ココニオイデ」では、福島の方言だけで詩を作り、朗読しました。「自然にあるものだけで満ち足りる素晴らしさを歌いたい」という気持ちは、震災後も変わることはありませんでした。
どこからだって やまがみえでだがら
やまに なまえがあるって わがんねがった
うぢからみえでた あのやまは
なんちゅう やまだったんだべ
で始まる「やま」、そしてわたしの子供時代、お盆に、東白川郡塙にある父の実家にお墓参りに行った日の思い出を詠んだ「夏の日」という作品、阿武隈、安積、磐梯、などの「難読地名」を音で遊ぶ作品などを作りました。悲惨な様子や問題提起など一切なしに、美しい風景だけを描きました。(この詩がきっかけで、のちのガイガーカウンター・ミーティングに参加することになったのも、不思議な縁です)
その後、柳家小春さんと高円寺の不思議CDショップ、円盤でご一緒する機会がありました。小春さんはとっても魅力的な声で端唄を主に歌っている、すてきな方です。私が福島出身ということで「福島民踊を歌いましょう」と、「相馬二遍返し」を小春さんが歌った音源を送ってくださいました。改めて聴いて(ちゃんとは歌えなかったけど、お囃子などは知っていました)そのメロディと、歌詩に心が震えました。
この相馬二遍返しも、美しい風景だけを歌っています。争い事の種になる境界に桜を植えている相馬の人たちの心意気を、その情景で詠みこみ、野馬追いの楽しさ勇壮さ、その祭りの充足感を「ほどのよさ」という言葉に込めていること、すべてがわたしのこれまでの詩作と、福島との関わり方に共通していて私にはこれこそ「復興の歌」だと思えました。
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